明治維新によって新しい時代がやって来ました。この新しい日本をどういう国にしていくのか。このことを真剣に考え、明治政府のめざす方向とは違う道を構想した人々が、「明治第二ノ改革」すなわち自由民権運動を呼びかけ、これに賛同する多くの人々が運動に参加しました。
憲法を作り国会を開こう、税金を安くしろ、言論や集会が自由な世の中にしようと彼らは訴え、運動は全国に広がり、日本で最初の国民的な民主主義運動になりました。
その中で「自由は土佐の山間より」といわれるように、土佐の人々は大きな役割を果たしました。
常設展示では、土佐の運動を中心に自由民権運動の歩みを紹介しています。
自由民権運動や記念館の概要を映像でダイジェストに紹介。
この言葉は土佐出身の自由民権運動理論家、植木枝盛が明治10年『海南新誌』に発表した文章に登場した。
1853(嘉永6)年幕末動乱の端緒となったペリー来航から明治維新を経て、自由民権運動が始まるまで。留学生資料などを展示。
『人のうえには人はなき 権利にかわりがないからは/植木枝盛』 1874(明治7)年、運動の出発となった「民選議院設立の建言」発表から1877(明治10)年運動の本格的展開を告げた「立志社建白」まで。自由民権運動史上最高の結社である立志社関係の展示が中心。
1874(明治7)年、運動の出発となった「民選議院設立の建言」発表から1877(明治10)年運動の本格的展開を告げた「立志社建白」まで。自由民権運動史上最高の結社である立志社関係の展示が中心。
『よしや南海苦熱の地でも粋な自由の風が吹く/安岡道太郎』 1887(明治10)年「立志社建白」から1881(明治14)年日本最初の政党「自由党」結成まで。国会開設請願を中心に運動は大きく盛り上がった。理論面でも民権派は自ら憲法草案を作成するまでに成長した。機関誌、請願書などを展示。
1887(明治10)年「立志社建白」から1881(明治14)年日本最初の政党「自由党」結成まで。国会開設請願を中心に運動は大きく盛り上がった。理論面でも民権派は自ら憲法草案を作成するまでに成長した。機関誌、請願書などを展示。
『頼む所は天下の輿論、目指すかたきは暴虐政府/馬場辰猪』 1881(明治14)年「自由党」結成から1884(明治17)年「自由党」解党まで。自由党は苦難の道を歩み3年間の活動で解党した。政府の弾圧に対して民権派は様々なスタイルでたくましく抵抗した。自由党の理論家の書籍、民権派新聞、自由党総理板垣退助を襲った暴漢が使った短刀などを展示。
1881(明治14)年「自由党」結成から1884(明治17)年「自由党」解党まで。自由党は苦難の道を歩み3年間の活動で解党した。政府の弾圧に対して民権派は様々なスタイルでたくましく抵抗した。自由党の理論家の書籍、民権派新聞、自由党総理板垣退助を襲った暴漢が使った短刀などを展示。
自由民権運動の時代には「自由」が流行した。ここでは「自由水(化粧水)」のチラシ・「自由主義」の焼印・「自由万歳」の徳利など「自由」冠した文物と自由民権運動の雰囲気を伝える絵を展示。
『生きて奴隷の民たらんよりは死して自由の鬼たらん/高知県三大事件建白書』』 1884(明治17)年「自由党」解党から1887(明治20)年三大事件建白運動まで(三大事件とは租税軽減・言論集会の自由・外交失策の挽回)。政府の不平等条約改正交渉の屈辱的内容に対して世論が沸騰、民権運動も再燃した。追い詰められた政府は「保安条例」によって民権家を東京から追放した。建白書、退去命令書などを展示。
1884(明治17)年「自由党」解党から1887(明治20)年三大事件建白運動まで(三大事件とは租税軽減・言論集会の自由・外交失策の挽回)。政府の不平等条約改正交渉の屈辱的内容に対して世論が沸騰、民権運動も再燃した。追い詰められた政府は「保安条例」によって民権家を東京から追放した。建白書、退去命令書などを展示。
『自由は取る可き物なり、貰う可き品にあらず/中江兆民』 1887(明治20)年三大事件建白運動から1892(明治25)年選挙大干渉まで。 1889(明治22)年大日本帝国憲法が発布されたが、その内容は民権派が求めていたものとはかけ離れていた。開設された国会では民権派が多数を占め政府と対立し、最初の解散後の総選挙に政府は大干渉を行った。この選挙干渉に対する運動が土佐民権派の最後の運動であった。その後の時代の変化により自由民権運動は民主主義運動としての性格を変質させて行く。選挙干渉関係資料などを展示。
1887(明治20)年三大事件建白運動から1892(明治25)年選挙大干渉まで。 1889(明治22)年大日本帝国憲法が発布されたが、その内容は民権派が求めていたものとはかけ離れていた。開設された国会では民権派が多数を占め政府と対立し、最初の解散後の総選挙に政府は大干渉を行った。この選挙干渉に対する運動が土佐民権派の最後の運動であった。その後の時代の変化により自由民権運動は民主主義運動としての性格を変質させて行く。選挙干渉関係資料などを展示。
自由民権運動の時代には自由大懇親会と称する集会が盛んに催された。この自由大懇親会に「自由」や「山嶽倶楽部」などの旗を掲げて向かう人びとを表現した。
『政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之ニ従ハザルコトヲ得/東洋大日本国々憲案 第70条』 土佐では二種類の憲法草案が起草された。これらは民主主義の精神に貫かれたもので、現行の日本国憲法に影響を与えた。
土佐では二種類の憲法草案が起草された。これらは民主主義の精神に貫かれたもので、現行の日本国憲法に影響を与えた。
楠瀬喜多など多くの女性が自由民権運動に参加したことを紹介。
当時の政治小説や翻訳文学を展示。
自由民権運動の終末から日本国憲法の施行までを年表で展示。
『未来が其の胸中に在るもの之を青年と云う/植木枝盛』 自由民権運動はまさに近代日本の青春であった。
自由民権運動はまさに近代日本の青春であった。
明治の土佐の様子を地図・絵巻・写真・玩具・街路市模型で紹介。
個別テーマによる企画展を開催しています。 [現在開催中の内容についてはこちらから...]
自由民権期の演説会場の雰囲気を再現した部屋で、館が製作した次の映像を上映。 『自由と土佐』(15分) 『行動する思想家 植木枝盛』(15分)
『自由と土佐』(15分) 『行動する思想家 植木枝盛』(15分)